格言に見る業界ばなし その2 事業の進歩発展に・・・ (2014年 時計美術宝飾新聞)

 この言葉の全体は、こうです。事業の進歩発展にもっとも害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である。これは住友財閥の二代目総理事であった伊庭貞剛の言葉です。つまりですね、会社のなかで若者が突っ走って失敗をする、そんなことで会社が潰れることはない。逆に過去の経験だけにしがみついて社内にウロウロするじじいが、いつまでも仕事に口をだすことで会社はダメになるということ。「おお、ウチの会社か」と思われる方も多いのではないでしょうか。
 いま宝石業界では世代交代が進んでいます。70歳代のオヤジが引退して、40代の息子が社長になるという交代ですが、この70代のオヤジがすっぱりと引退するのではなく、会長などと言って毎日出社する。そして経営にあれこれと口を出す。どこにでもある図式ですよね。問題は、この70代のオヤジの経験はもはや通用しない。私もその一員ですからヨーク分かるのですが、今の70代のオヤジたちは、宝石業界が最も元気だったころの経験しかない。しかしね、彼らが元気だった1960−90年代と言うのは、何もしなくとも売れた時代なのですよ。売ったのではない、ジュエリーを作って店に出せば、ほとんどが売れた時代なのです。何故か,簡単なことですよ。客の誰もジュエリーを何も持っていなかったからです。今は完全に違います、客は何でも持っている時代なのです。持っている人にさらに売らなければ、会社が成り立たない時代なのですよ。そんな時代に売れた経験しかないオヤジに売る時代のことが分かる訳は無い。たちの悪いことに、こうした認識のないオヤジほど、ワシの若い頃は、という経験話しかない。そんな経験はもはや不要なのです。売れたということと、売るということは別の話なのです。冒頭に引用した伊庭貞剛は、足尾銅山問題で危機に瀕した住友財閥を立て直すと、わずか58歳ですっぱりと引退しました。見事じゃないですか。
 宝石業界に戻りますと、さらに厄介な問題があります。それは二代目、三台目のご子息さまたちの無気力です。オヤジたちの自信過剰とは反対に、何でもやれるはずの若手に、さっぱり気力が感じられないことです。特に小売店の若手には、何かを新しくやろうという気概も、勉強しようという気持ちも、ほとんど感じられない。本来は勉強するためのグループなどもいくつかあるようですが、集まっては酒を飲むか、売れないねと傷を舐め合う会でしかないようです。少なくとも、はつらつとしたチャレンジ精神は感じられない。私の偏見かも知れませんが。どうですか、オヤジはすっぱりと消えて若手に任せて、若手はもう少しチャレンジ精神を発揮して大胆な新しいことをしては。ここまで書いてきて、お前さんも70歳代じゃないか、さっさと引っ込めという声が聞こえてきました。まさにその通り、本誌の藤井編集長にそう言って下さいよ。

2019年4月11日