この五十年の真珠衰退を思う 第12回 面白くて、勉強になる真珠との出会い−2(2013年 時計美術宝飾新聞)

 今から25年ほど前のこと、ミキモトの私の事務所に、変なアメリカ人女性が訪れてきました。今では最高の親友になった女性は、スーザン・ヘンドリクソンと言い、当時上野の科学博物館などで話題になっていた恐竜展のために来日した人物で、本業は恐竜の骨や琥珀の発掘をする学者でした。その後、史上最大の恐竜の化石を掘り出し、スーという名前がその化石について有名になった人物です。
 彼女がおそるおそる取り出したのが不思議な真珠でした。曰く、この真珠は,琥珀や恐竜を探して中南米諸国を放浪している間に、現地の漁民が貝から取り出して集めているのを買ってきた、宝石業界の人に見せても、取り合ってくれないので、日本なら誰かいるだろうと持って来たのだと。これが私とコンク真珠との出会いです。もちろん、コンク真珠そのものは、ハリーウインストンが作ったネックレスを見ていましたから知つてはいましたが、買うべき素材として見せられたのは始めて。スーザンに言わせると、私はものも言わずに10分ほどコンクを眺めていたそうです。まあ、見たとたんにこれは使えると、どう使うか、独占できるのか、予算はいくら要るのかを瞬時に考えていたのですよ。翌年からミキモトで売り出した、最初は高いだの変だのと言われましたが、その後の商品としての定着はご存知の通りです。まあ、コンクそのものも面白かったのですが、彼女が知り合いになっていたほかの天然真珠の業者を紹介されたのが大きかったですね。こんな真珠があるのか、あるいは世界のこんな地域にも真珠を採る業者がいるのか、そしてこんな変な真珠が商品として存在しているということを知ったのは大きかったですね。それで私も真珠屋として少し成長できたと思います。
 まあそれまではミキモトの営業の責任者とは言っても、要するに養殖真珠しか扱ってこなかった、アコヤ、白と黒、中国の一部だけが真珠だと仕事をしてきました。その中で、何となくこれでは真珠は行き詰まるなという感じは持っていました。だからダイヤモンドや色石、さらにはアンティークと手は広げていたのですが、やはり本業は真珠だという思いはあったのです。その本業で新しい味を出せるかな、これがコンクを見た時のひらめきだったのですよ。コンクを始めとする天然真珠を、養殖真珠と込み混ぜることで、新しい真珠のジュエリーを作り出せないか、これが養殖真珠の創始者であるミキモトが天然真珠に着手した理由です。
 これには随分言われましたよ、国内だけでなく海外からもミキモトは養殖真珠から撤退するのかなどと、まあ、その頃までは日本の真珠業界の動向を外国人も注目していたと言うことでしょうね。その後、ジェムインターナショナルの社長になってからも、このコンクを中心とする天然真珠を養殖にこみ混ぜるという商品開発は続けました。私がミキモトを離れ、真珠業界からも離れた後に、柏圭さん、三原さんや木下さんが、天然真珠を扱って成功されたのは大変に嬉しいことです。次回は、スーザン以外の業者を書きます。

2019年3月31日