コロナ騒ぎの今こそ、ジュエリーの出番では??

 家庭画報に依頼されて、四月号に載った18ページに及ぶ日本のジュエリーの紹介を書きました時に、思ったことを少し書いてみます。
 反閇と言う言葉、ご存知でしょうか、へんばいと読みます。能や歌舞伎などで、役者が突然足で床板を強くバンバンと叩く場面があるでしょう。そのことがこの反閇です。それはわかったけど、それがジュエリーとどんな関係があるのと言われそうですが、ちょっとお待ちを。
 この企画を家庭画報からもらった時、最初に頭に浮かんだのは眼福(がんぷく)という言葉でした。眼福とは目で美しいもの、綺麗なもの、素晴らしいものを見る、そのことによって幸せになり、その幸福感で世にある凶々しきもの、不吉なものを打ち払うという意味です。コロナコロナの大騒ぎの今こそ、こうした眼福が必要な時代ではないでしょうか。そして、そうした力のあるものの一つが、ジュエリーではないかと思ったのです。
 人間が使うモノには数万に及ぶ種類があると思いますが、そうしたモノの中で、最も古くから存在するのが装身具、つまり素材はいろいろとありますが、まあジュエリーなのです。世界中には膨大な数の遺跡があります。どんな民族がいつ頃に作ったのかがわかっているもの、それが全くわからない遺跡もあります。そこから発掘される道具類には、いろいろとありますが、ほぼ共通して登場するのが、食器、祭りの道具である祭器、それと装身具です。ここで大きな疑問が生まれます。
 食器にしても祭器にしても、明確な用途があります。食器がなければ食事ができない、祭器がなければ先祖を敬うことができない、しかし装身具にはそうした用途というものが明瞭でないのです。おそらく平均寿命は20歳もない、食料にも事欠く、外には凶暴な動物や外敵がいる、そうした生活の中で、乏しい素材、つまり動物の骨、拾った金属や石ころ、貝殻、鳥の羽根、美しい木の実、整形した粘土などを使って、全く実用性のない、つまりあってもなくてもいいものである装身具を、我々の祖先は作り使ったのかという疑問です。
 私はこう思います。古代の人々は、太古の闇の中に潜む凶々しいもの、悪しきもので、自分たちを殺しかねない危機を感じ取っていたのだと思います。それが日本の場合は、反閇となって現れた、つまりですね、強く足踏みをすることで悪しきものを踏みつけ、土中に送り込む、ということです。我々人類の祖先は、美しいものを身につける、それを眺めることによってパワーを得て、反閇と同じように、闇に潜む悪しきものたちを追い払うと考えたのですよ。美しいものを見ること、身につけることによって、パワーを得る、これを眼福と言います。家庭画報の記事の中心はこの眼福に置きました。眼福こそが、ジュエリーの存在理由ではないでしょうか。
 コロナ騒ぎの今こそ、ジュエリーの出番だと思います。にもかかわらず、業界を見ても、業界人に会ってみても、こうした強い思いを持ってジュエリーを作り売っている人はほとんどいません。どうか思い直してもらいたいと思ってこの駄文を追加しました。家庭画報の四月号を見てください。頑張ってますよ。

2021年3月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : Ryo Yamaguchi