この五十年の真珠衰退を思う 第1回 アコヤはもはや雑貨である(2013年 時計美術宝飾新聞)

 老人になったことの特徴は、昔話をする、話がくどくなる、同じことを何度も言う、ということらしいが、今回、W&Jの藤井社長からの依頼で、私めの真珠屋としての昔話をしろということで、まあ、これで私も堂々たる老人になったのかと、いささか情けないのですが、お引き受けしました。
 私がミキモトに入社したのは、1960年、昭和35年ですから、全くの大昔、爾来53年もこの業界でウロウロしている事になります。ミキモトでのキャリアで私が少し変わっているのは、営業と商品開発しかやってこなかったことと、銀座から転勤しなかったことでしょう。最後には一応営業本部長ということで、やりたい放題に仕事をしていましたので、そのほぼ40年の間に真珠について起きた事は理解しているつもりです。
 不思議なもので、その真っ只中にいる時には感じなかったのですが、今にして振り返ってみますと、この年月の間に、真珠は特にアコヤはひたすら衰退の道を辿ったと言えます。まあ、その渦中にいて何も出来なかったことを思うと、いささか慙愧の念にかられます。
 広い意味での装身具には、素材のランクと言うか価格というか、それによって宝石、アクセサリー、雑貨の3つに大別されます。これを今の業界に当て嵌めますと、宝石となる真珠は、天然真珠、アクセサリーと鳴るのは白蝶と黒蝶の一部、雑貨は中国淡水とアコヤではないでしょうか。どうものっけから際どい話題で、藤井編集長のにがり顔が目に浮かぶのですが、残念ながら事実は事実、訂正する気はありません。まあ、この連載の最初の数回は、アコヤ真珠がいかにして雑貨にまで身を落としたのか、その理由、歴史から振り返って見たいと思います。
 宝石、あるいは本当のジュエリーと呼ばれる商品には、そう呼ばれるに必要な条件が3つあります。希少性、耐久性、それに話題性です。アコヤに希少性はありますか。
 8ミリの連に8半のイヤリングを付けて38,800円というのが、一流百貨店が保証するということで、テレビで無制限に売られている、これが稀少ですか?染色が抜けて早ければ半年で色が変わります。有機物ですから経年変化は避けられないだと、これで耐久性があると言えますか?白くて丸いだけの真珠のネックレスに話題性がありますか?何時でも、何処でも、幾らででも、何本でもありますよ、これがアコヤではないでしょうか。これが宝石ですか?どう見ても工業製品に近い雑貨でしょう。しかも真珠そのもので善し悪しや美しさを計るのではなく、べたべたと意味のない保証書だの、鑑別書だのを添付しなければ売れない、こんなものの何処が宝石なのでしょうか。
 勿論、そうした環境の中でも努力して良いアコヤを作ろうとしている養殖業者がいる事は私も分かっています。だけど、真面目な業者ほど苦労している、しかも業界全体としてこういう状況を変えて、アコヤに昔の輝きを取り戻そうという気配は全くない。一回目の結論、“アコヤは雑貨である”。次回はそうした事になるまでの歴史を見てみます。

2019年3月30日

ふんどし振り乱してどこへ行く??? (月刊ジュエリスト 10月号)

--我々はどこで何を間違えたのか。

 この小論は、いま宝石業界が抱えている問題が何なのか、どうしてそうなったのか、どうすればいいのか,と言う、まあ考えようによっては,業界団体が考え、指示すべきことを,個人で考えると言う、いつもながらの、いささか向こう見ずな試論である。

1.戦後史を振り返る。

 ジュエリーに関する限り、戦後史ははっきりと三つに区分できる。第一は1965年頃までで、日本人のジュエリー市場というものは、ほとんど存在しない時期だ。もちろん銀座の老舗はあったが、客はほとんどがアメリカ人か中南米からの大富豪などで、日本人の客などは、新聞の朝刊一面に出ている人の家族が少しいた程度の時代である。
 第二期は1965年頃から1991年頃にかけての,いわゆるバブル全盛期である。今にして振り返れば、ジュエリー市場にとってこれほど理想的であった時代はない。第一に、誰もまともなジュエリーを持っていなかった、つまり所有率ほぼゼロの時代であったこと、第二には、日本人の所得が急上昇したこと、つまり買う金が出来たことが重なった時代であった。この時代は、我々業者が苦労して売ったのではなく、なにをしなくとも売れたのである。これは幸運ではあったが、よく考えれば、業界にこの上ない錯覚をもたらし、今日にいたるまで、業界の改革が進まない理由ともなっている。苦心をして売ったのではなく、商品を仕入れて並べておけば、ほとんど勝手に売れたのだ。努力をして売るというのと、売れるということは違う、これをこの時代の宝石商は認識せず、その後に続いた今の業界トップとなっている息子たちも理解していない。ここに業界の意識改革が進まない最大の理由がある。
 こうした夢のような時代は1991年前後から変わり始める。それまでの時代とまったく逆の時代となった。何も持っていない客は,内容を問わなければ何でも持っている時代になり、知識も経験も増えて、商品の選択がシビアになると同時に、いわゆるバブル経済の破綻から、ほとんど成長のない暗黒の二十年が始まった。三兆円のピークから、売上げは急速に落ち始め、小売店も廃業する店が増え、かって12.000軒あった小売店は6.000軒まで減り、市場規模も今ではほぼ一兆円と、三分の一に激減したのはご承知の通りである。

2.不思議な業界の反応。

 こうした事態に対して、何よりも不思議だったのは業界としての対応策が全く出なかった、漫然と下がるに任せた市場の縮小に対して、他の業界がやるような業界挙げての対策はまったくなく,呆然と手をこまねいたままであった。なぜ顧客はジュエリーから離れていったのかを考えず、その原因をすべて経済不況のせいと考え、顧客に金がなくなった、だから売れないのだ、不況が終わればまた売れるだろうと、漫然と業界あげて互いの傷を舐めあって,売れない音頭を歌っていたのがジュエリー業界である。
 ジュエリー業界には,実に多くの業界団体があるが、どれもがその主な機能としては集まってお茶を飲む程度のもので、業界の低迷をすこしでも減らそうとか、より良いジュエリーを研究するとかの努力の見られる団体は、小生の知る限り,皆無に近い。団体という組織が出来ると、その存在理由を示すために何かをやる、あるいはやる振りをする、これは日本のお役所を見れば分かることだが、ジュエリー業界が何かやっているという振りをしているのが、ジュエリーコーディネーターを増やすことらしい。現場の販売員が知識を増やし、接客の能力を向上させることは、もちろん業界にとって望ましいことであり、マイナスになるものではない。しかしながら、ジュエリー業界の不況は、現場の販売員の尻をたたくことだけで解決できるものではない。この制度が始まったとき,私も微力ながら原稿を書いたが、制度が始まって二年後頃には、2000人ほどの資格保有者がいたけれど,業界売上げは二兆円前後、それが今では9000人に達するとか、さらに一万人を目指すとかだが、売上げは一兆円である。いかなる関係があるのか、教えてもらいたい。

3.決定的なミス。

 ジュエリー業界の低迷が始まった頃、業界は決定的なミスをおかした。どんな業界でも、自分たちの商品が売れなくなった時、真っ先に考えるのは,自分の商品のどこが悪いのか,改善すべき点は何なのか、ということであろう。我らが業界はまったく違う反応を示した。売れなくなったジュエリーの問題点を考えるのではなく、その商品はそのままにして、何か売り方を考えれば売れるのではないか、と考えたのだ。まあ、素晴らしい発想と言えば言えないこともなく、その創意工夫には頭が下がる。商品に問題があるのではなく、売り方に問題がある、新しい販売方法を考えようとしたのだ。その結果、業界にはご存知の通り、ローン販売、催事販売、食事、色物つきの展示会、旅行販売,さらにはユーザー展なる問屋任せの売り方など、世界の宝石業界にはまったく見られない珍奇な販売方法が発達した。和装業界の催事などで、会場に連れ込まれたバーさんを五、六人のセールスが取り囲み、ローンを組むまで放さないという販売が跋扈したのもこの時代である。その結果、起きたことはローンの規制であり、消費者契約法などの販売者を厳しく規制する法律の制定で、業界は首を絞められることになる。これほど愚かな事例はないだろう。
 91−92年にかけて、ジュエリーの売上げが停頓し始めた時、業界が真っ先に反省すべきであったのは、いま売っているジュエリーに問題はないのか、それが本当に顧客の求めているものなのか、という反省をすることであった。しかし、己のジュエリーについて、疑問を感じ、それをより良く変えてゆくことを目指した業者を私は知らない。
 かくして売るジュエリーの質は変わらず、奇怪な売り方だけを発達させるという、日本のジュエリー業界の最大の欠点が生まれたのである。

4.さらなる勘違い。

 売上げが低迷し始めたこの時代、業界はもう一つの勘違いをおかした。それはお客がジュエリーを買わなくなったのは、金がなくなった、つまり収入が減ったからだという誤解である。たしかにバブル期のような、派手な収入はなくなったかも知れないが、金はある所にはあるのであって、ない所だけを眺めていれば,金はないように見える。金がなくなったと思い込んだ業界は、高いから売れないのなら、安いものなら売れるだろう、では安いものを作ろうと考えた。かくして50万のものが高いのなら,30万、それでも売れないなら20万と、単価を引き下げることで対応しようとした。ジュエリーの場合、売価を下げる一番簡単な方法は、製造工賃の引き下げである。工賃を引き下げられた職人さんがやるのは、当然のことながら製造の手抜きである。かくして,市場には安かろう悪かろうのジュエリーが溢れ、単価はどんどん下がり、ジュエリーとアクセサリーとの差がなくなったのだ。これが典型的に現れたのが百貨店における一階のアクセサリー売場と、六、七階のジュエリー売場との逆転現象であろう。
 事実は、高いから売れないのではなく、高くて良くないから売れないのであって、良いものなら高くても売れると言う事実を業界は無視した。かくして、業界人の誰もが反省もしない、良くないジュエリーが市場に溢れたのである。それは今になっても、まったく変わっていない。自己反省のなさと言う点では,ジュエリー業界は、質を追い求めることで世界を制覇した日本市場のなかで、まったく別格の存在である。

5.ジュエリーの質を作り出すものは何か。

 では、ジュエリーの質を作り出すもの、あるいは高めるものは何かを考えてみる。ジュエリーという商品は、素材とデザインと作りとで成り立っている。このなかで、商品としての美しさを決定づけるものはデザインであろう。デザインを作る人はデザイナーである。ジュエリーに美しさがないのは、だからデザイナーの責任である、日本には良いデザイナーがいないから、良いジュエリーが生まれないのだ、と言いたくなるだろう。だが、ちょっと待ってもらいたい。現実に、あるジュエリーを作ろうと言う決定は、デザイナーがしているのだろうか。たしかに、自分の名前で自分で作ったジュエリーだけを売っているデザイナーさんは、自分で決定しているだろう。しかし、市場の大部分を占める企業内デザイナーは、ほとんどが決定権を持たない。作るデザインを決めているのは、デザイナーではなく、企業のなかにいるお偉いさんたち、社長とかその奥方とか、大きな企業ならばデザイン決定委員会などの組織であろう。問題はそこにあるのだ。そうした企業内のおっさん、おばはん達の美的センスが問題なのである。デザイナーが、いかに良いデザイン,あるいは一歩進んだデザインを描いても、それを作ろうと選ぶ人間の能力がなければ、商品とはならない。商品となるのは、その連中にとって面白いデザインであり、それが公平に見て素晴らしいデザインであることは、まずない。
 かくして、仮に優れたデザイナーがいたとしても、優れたジュエリーが世に出るチャンスは激減するのだ。これが日本のジュエリーが質的に向上しない最大の理由である。まあ,本当に優れたデザイナーがいないことも事実だが、デザイン選びをする業界のオヤジ達のレベルの低さこそ、業界低迷の一因だという認識が,皆無なのだ。

6.今の業界を仔細に見ると。

 いま現在、市場では何が起きているのか。一つは自信の喪失だろう。企業として目立つだけに、百貨店の宝石売場の担当者ほど、何をしたいのか、何が出来るのか、をしっかりと認識した人は少ない。地方の小売店の経営者にいたっては、自分の信念を持って仕事をすすめている人など,皆無に近い。ほとんどが問屋丸投げ、店頭でジュエリーは売れない,電池交換と赤札販売のみ、というのが実情だろう。二つ目は和装業界の生き残りのうごめきだ。京都あたりで、ローン規制で死にかかった業者の一部が、また懲りもせず地方の小売店などにとんでもない価格の、碌でもないジュエリーを持ちこんでいる。まあ、このしぶとさこそ賞賛に値するが、業界にとって益になる話ではない。
 今のジュエリー業界で、自分でリスクをしょってジュエリー作りをしているーーまあ、その内容には疑問があってもーーのは、メーカー問屋と呼ばれる人のみである。小売店はもちろん、百貨店などでも,商品を買い取って自分のリスクで売ろうという業者など、どこにもいない。最近では,商品だけでなく、ディスプレイの道具も,甚だしいのは催事の日の弁当まで、問屋に背負わせる小売が登場している。それでいて、利益だけは折り返しじゃなくては、などとうそぶく始末だ。問屋も大変,同情に値する。この結果、何が起きるか、である。一つは売価の高騰、もう一つは、扱うジュエリーの内容の低下である。当然であろう、かかった経費はすべて商品価格で回収しなければ、問屋は生き残れない。もう一つは、問屋は小売店が商品内容を理解していないことを見抜けば、やることは一つ、持ち込む商品が良いものというよりも、利益が取れるものに集中する。なんせ、小売店の社長は、催事をするにしても、催事当日の朝まで、どんな商品が来るのか,知らないというのが普通なら、問屋は真剣に商品の検討などしない。小売店が自分で商品を選択していないのだ。かくして、最近では、催事の効率が非常に低下しているのだ。これは百貨店もまったく同じである。
 要するに,小売現場の退廃、これこそがお客が店に寄り付かない最大の理由なのだが、肝心の小売店、百貨店を預かる小売部門に、この問題が切迫感を持って認識されていない。客に最終的に接する小売がこの有様で、お客が戻って来て、また売れるなどということを期待する方が間違っている。小売の意識改革なしに、ジュエリー業界の回復は絶対にない。

7.ふんどし、振り乱してどこへ行く??

 いささか下品な表現だが,江戸時代の話である。男が大変だ,大変だと走り回っている。着物の前ははだけて、ふんどしが丸見え、風に吹かれてヒラヒラ,だが,誰も何が大変のかは分からない。今のジュエリー業界とそっくりである。
 これも私見だが、6000軒までに減った小売店は、これからの五年間ほどで、さらに半減し,3000軒程度まで減ると思っている。それが日本の市場サイズにはちょうど良い。その3000軒もはっきりと二分化し、アクセサリーと識別の付かないジュエリーを中心に,価格訴求を武器として一般大衆に売る店と、商品にこだわりをもって自分の信念で選んだ商品を,分かってくれる客に売る店とに二分化する。もちろん、数の上では前者が圧倒的に多いだろう。どちらがより良いという訳ではなく。どちらを選ぶかはお店の自由であるし、前者が後者よりも悪いという訳ではない。商品も顧客も,階層化してゆくということだ。これは避けられない。ただどちらであっても、これまでのように、売ってしまえば勝ちよという考えは続かない。販売者責任を法的に追求される時代になっていることだけは、しっかりと覚えておいてもらいたい。
せんじ詰めれば、

  1. 小売店は自分が顧客に提供する商品について、もっと勉強し、なにが最適なセレクションなのかを考える、詰まり問屋丸投げはやめること。
  2. 問屋は自社の作る商品の決定について、適当ではない人に任せていないかを反省すること。
  3. デザイナーは、コンテスト参加に血道を上げるのではなく、何が美しいジュエリーなのかを考え直すこと。デザコンに当選したジュエリーで,売り物になるのはほとんどない。
  4. 貴方はジュエリーが好きなのか、それを考えること。

 こうしたことこそ、我々業界人が考え、実行すべきことではないか。
 最近、業界を見渡してつくづくと感じるのだが、ジュエリーを扱っている人でジュエリーが大好き、大いに関心がある、勉強もしたい、という気持ちのある人が少ないと思う。最近のジュエリーの多くは,工業製品化しており、大量生産、大量販売が中心になっており、勉強の仕様もないというのも分かるが、ジュエリーという商品は、美を追求し,美をお客に届けるものなのだ。親から店を譲られたからとか、ジュエリー会社に就職したから、ということだけで、この商売をやっても,大成するのは難しい。特に二分化の後者を目指すならば、好き、という気持ちが必要である。好きではないという方には、転職をお勧めする。そろそろ立ち止まって、ふんどしを締め直して,闇雲に走り回るのではなく、何が必要なのかを考える時期に来ているのでは,と思う。
 そうは言っても、簡単に変われるとも思っていない。残る3000軒に入るか消えるかは、自分で考える時期だろう。最後に、私の好きなアメリカの詩人、ラングストン・ヒューズの詩の一節を引用して終わりたい。『死んだ奴は放っとけ,俺はこれから朝飯だ』

2019年3月25日