最近のことですが、真珠業界のことを知らない宝石業界人から聞かれて驚いたことがあります。真珠のスタンダードが世界中にない事は知っていますが、真珠の中心は日本でしょう、どうして日本が音頭をとって決めないのですか、と。いや、今時こんなナイーブな質問を受けて感動しました。嫌味ではなく。ご存知の通り、日本は今や、真珠産業の中心ではありません。商売なら香港、学問ならケン・スカーレットのいるバンコク辺りでしょうか。
言うまでもなく、昔は日本が真珠産業の中心地でした。多くの外国の業者が神戸や東京に集まり、仕入れをしていった時代をご記憶の業界人もまだ多いと思います。それがいかなる歴史を経て、現在の凋落にいったのかは、あまり知られていません。今回はそのトップからの凋落の過程を知る限りですが、書いてみます。
私の知る限り、1990年代の前半までは、日本に対しての尊敬というか、先駆者として認めるという気分は、世界の真珠業者の間にあったと思います。何事につけても、日本はどうする、日本の考え方はどうなんだと聞かれた、まあ日本を中心に纏っていこうという気分は残っていた。これを決定的に崩したのが、1994年にハワイで行なわれた真珠会議であったと思います。これはあまり知る人はいないのですが、真珠の歴史の上で、画期的な集まりであったと思います。天然、養殖を問わず、真珠を産出する国や養殖をやっている殆ど全ての国から真珠業者やら学者やらが集まって、真珠の現状報告と今の問題点を話し合う最初にして最後の会議でした。見事なレジメが残っています。そこに唯一参加しなかったのが日本だったのですよ。変でしょう。日本こそ議長国でもおかしくない会議に、はなから不参加というのは。
日本から誰も参加しなかった理由は簡単で、真珠振興会の偉いさん達が、あの会議には出ない、みんなも出るなと言ったからです。その理由は不明、自分たちが言い出した会議でもなく、最初から相談を受けたこともない、そんな会議に出る必要はないと。まあ私もそのときは現役でしたから、それは出るべきだと意見を具申したのですがね、神戸の皆さんは、ハイそれでは出ませんと言うことで、誰一人参加しなかったのですよ。まあ出ても英語で真珠の将来を語るだけの自信がなかったのかも知れません。英語もさることながら、真珠の将来など考えたこともないのですから、会議どころじゃない。かくして、日本が纏めることが出来たかもしれない唯一の機会を自ら失ったのです。
それだけじゃない、世界は気づいてしまったのですよ。日本の真珠業界は、世界の業界を纏める気もなければ、能力もないと言う事に。以来、真珠のことについて、日本に相談するような事は一度もありません。香港はどんどん商売を大きくするし、真珠についての学問的な本は、全てアメリカかオーストラリアで出版され、大きな真珠展は、アメリカか湾岸諸国かで開かれ、ついには、染めたアコヤは真珠じゃないとか、養殖真珠をはじめたのはオーストラリア人だと言い出す始末で、ご存知の通り。つまりですね、世界のリーダーから日本の業界は自ら降りた、それを先導したのは振興会の皆さんであったという事なのです。情けない一語に尽きます。