どうも最初の九回分は、アコヤの現状に腹を立てて当たり散らした感があるので、真珠のジュエリーとは、実に多様で面白いものであることを、自分の五十年の経験に照らして、少し書いてみたいと思います。70年代の半ば頃に日本でもジュエリーの輸入が自由化になりました。その頃から、仕入れのためや市場調査の名目でヨーロッパに行くようになり、それ以外にもダイヤモンドインターナショナル賞、ゴールドの世界コンテストやプラチナの世界コンテストなど、多くの国際的なコンテストの審査員を務めたりして、とにかく今日まで、百回を超える渡欧をしてきました。まああまり大声では言えないのですが、出張の途中や前後に、密かに二三日さぼって、各地にある美術館を覗くのを趣味として、まあ全部でなら数百を超える美術館を見てきました。一番驚くのは、展示物のなかに、ジュエリーあるいはその破片と言いますか出土した遺品なのか、とにかく金銀宝石を扱ったものが実に多いと言うことです。
まあ最近では、世界中からいろいろなジュエリーかその遺品のようなものが日本にやって来ますので、少しは見る機会も増えているのですが、とにかく展示物のなかにジュエリーが大変に多い、しかも真珠を使ったものが多いのには驚きました。もちろん古いものでは銀化したものも含まれますが、新旧併せて実に多く、もちろん全て天然真珠です。なかでも、最高の出会いと思えるのは、巨大真珠として知られるホープ真珠とパールオブアジアとの遭遇です。
1989年のこと、ロンドンの大きな競売会社で銀器の大コレクションの展示会がありました。もともと銀器には興味がないのですが、ふらっと入って見回しているうちに、壁際の小さなウインドウに真珠らしきものが見えたのです。近寄ってみて腰を抜かしそうになりました。真珠の参考書に必ずとも言えるほどに載っているホープ真珠が、もう一つの大きな真珠と一緒に鎮座しているではありませんか。それがホープよりも大きなパールオブアジアでした。そこではたと思いついたのがミキモトの百周年です。百周年の展示会に、これを借りられないか、これなら真珠に興味のない人でも見に来るだろうと思いました。なんせ、カタログに銅版画が載っている以外には、写真すら無く、ほとんど失われているのではと言われていた真珠なのです。
持ち主はアラブの王族でした。あらゆるコネを使って交渉に入りましたが、これが大変、やっとのことで使用料数千万円で契約、全国の百周年の催事に展示し、本店でも一般公開しましたから、見ていただいた業界の方も多いものと思います。この二つをポケットに入れて、ロンドンから東京まで来ましたが、これは緊張しましたよ。この時、私は真珠商人としてのキャリア上最大の失敗をしました。貸すのではなく、売っても良いよと言われたのを断ったのですよ。その当時ならミキモトは簡単に買えた値段でした。あの時買っていれば、今でも真珠の中心地・日本の象徴として使えたのに、残念でなりません。