この五十年の真珠衰退を思う 第13回 知られざる真珠業者を訪ねて(2013年 時計美術宝飾新聞)

 前回のスーザンから紹介されて出会った真珠業者の中で、もっとも面白かったのは、アメリカ人です。テネシー州のナッシュビル、まあこの町はかのプレスリーで有名な町ですが、ここに真珠を扱うユニークな業者一族が居ました。ラッテンドレス一族で、父親のジョンさんは、ミシシッピィ河から採れる貝を養殖のための核の素材として日本に売り込み、財をなした人です。奥さんは日本人でジーナとルネと言う美人姉妹が子供でした。ジョンが扱っていた真珠は二種類、核にする貝殻を集めているうちに、ミシシッピィ河に棲息している貝から採れる天然の淡水真珠が一つ、それとそうした貝を使って、日本式の養殖真珠がもう一つでした。養殖の方は、碁石状の平べったい核を使ったものが面白く、良く売れましたが、すぐに中国人が真似をして、似て非なるものが今でも市場に出ています。天然真珠の方は、昔ティファニー社にいたクンツ博士が紹介してフランスのウージェニー皇后が買ったという記録はあるのですが、まだ盛大に採れているとは誰も知らなかった。ジョンは、密かに家族にも見せずに、膨大なコレクションを築いていました。その一部を見せてもらったのですが,家族も始めてというもので、異様なテリのあるボタン状の珠、見事なピンク色を噛んだもの、フェザーと呼ばれる貝の蝶番の隙間で作られる細長いもの、あきれるほどに多様な真珠がありました。天然も養殖も買って来たのですが、売るのにはちょっと時間がかかりましたね。なんせ、業者も顧客も,真珠とは白くて丸いものと思い込んでいるのですから。まあそれでも、完売しました。
 次に行ったのは、これもアメリカ、しかも西海岸でした。アワビから採れる真珠があると教えられたからです。個人的には、ロサンゼルス近辺のアメリカ、あるいはその西海岸文化は最も嫌いなものですが、仕方がない、ぶつぶつ言いながら行きましたよ。まあ、これもびっくりしましたね。多くの業者は、海岸沿いの小さな町に住み、ほとんどが独りで真珠を採取していました。厳しい規制があり、認可を受けた人一人が一日に五個しかアワビを採れないのですから大変ですよ。アワビと言っても、寿司屋のアワビじゃない、横径で20センチはあろうかという巨大なアワビ貝で、美しいものは黒真珠の最上のものよりもはるかに奇麗です。青と緑色が混ざって実に美しい艶がある、だけど多くは貝に付着して出来るので、独立した真珠は非常に少ないのです。それでも数十は集めました、これは即座に完売でしたね。最近ではニュージーランドからも違ったアワビの真珠が来てますし、もう少し注目されていいと思います。
 さらにメキシコ領のバハカリフォルニアにあるラパスの町にも、まったく違う方角のスコットランド、ウエールズ、ドイツのババリア方面にも行きましたが、実用になる真珠には出会わなかったのです。中東のバーレンやカタールなどは興味のある市が立っているのですが、日本人には売らないよなどとーー事実かどうかは別としてーー言われたのでまだ行ってません。まあ、しかしこうして見ると、貝のあるところ真珠あり、と言うよりも,水のあるところ真珠ありとも言えますよね。

2019年3月31日

この五十年の真珠衰退を思う 第12回 面白くて、勉強になる真珠との出会い−2(2013年 時計美術宝飾新聞)

 今から25年ほど前のこと、ミキモトの私の事務所に、変なアメリカ人女性が訪れてきました。今では最高の親友になった女性は、スーザン・ヘンドリクソンと言い、当時上野の科学博物館などで話題になっていた恐竜展のために来日した人物で、本業は恐竜の骨や琥珀の発掘をする学者でした。その後、史上最大の恐竜の化石を掘り出し、スーという名前がその化石について有名になった人物です。
 彼女がおそるおそる取り出したのが不思議な真珠でした。曰く、この真珠は,琥珀や恐竜を探して中南米諸国を放浪している間に、現地の漁民が貝から取り出して集めているのを買ってきた、宝石業界の人に見せても、取り合ってくれないので、日本なら誰かいるだろうと持って来たのだと。これが私とコンク真珠との出会いです。もちろん、コンク真珠そのものは、ハリーウインストンが作ったネックレスを見ていましたから知つてはいましたが、買うべき素材として見せられたのは始めて。スーザンに言わせると、私はものも言わずに10分ほどコンクを眺めていたそうです。まあ、見たとたんにこれは使えると、どう使うか、独占できるのか、予算はいくら要るのかを瞬時に考えていたのですよ。翌年からミキモトで売り出した、最初は高いだの変だのと言われましたが、その後の商品としての定着はご存知の通りです。まあ、コンクそのものも面白かったのですが、彼女が知り合いになっていたほかの天然真珠の業者を紹介されたのが大きかったですね。こんな真珠があるのか、あるいは世界のこんな地域にも真珠を採る業者がいるのか、そしてこんな変な真珠が商品として存在しているということを知ったのは大きかったですね。それで私も真珠屋として少し成長できたと思います。
 まあそれまではミキモトの営業の責任者とは言っても、要するに養殖真珠しか扱ってこなかった、アコヤ、白と黒、中国の一部だけが真珠だと仕事をしてきました。その中で、何となくこれでは真珠は行き詰まるなという感じは持っていました。だからダイヤモンドや色石、さらにはアンティークと手は広げていたのですが、やはり本業は真珠だという思いはあったのです。その本業で新しい味を出せるかな、これがコンクを見た時のひらめきだったのですよ。コンクを始めとする天然真珠を、養殖真珠と込み混ぜることで、新しい真珠のジュエリーを作り出せないか、これが養殖真珠の創始者であるミキモトが天然真珠に着手した理由です。
 これには随分言われましたよ、国内だけでなく海外からもミキモトは養殖真珠から撤退するのかなどと、まあ、その頃までは日本の真珠業界の動向を外国人も注目していたと言うことでしょうね。その後、ジェムインターナショナルの社長になってからも、このコンクを中心とする天然真珠を養殖にこみ混ぜるという商品開発は続けました。私がミキモトを離れ、真珠業界からも離れた後に、柏圭さん、三原さんや木下さんが、天然真珠を扱って成功されたのは大変に嬉しいことです。次回は、スーザン以外の業者を書きます。

2019年3月31日