山下 耕二君を悼む

 以前、「キラ」という宝飾品関連の雑誌があったことを知る業界人は少ないだろう。私見ではあるが、宝石関連の雑誌としては、日本経済新聞社が発行していた「日経ジュエリー」と共に出色の雑誌であったと思う。共に消えてしまった。その理由は後で書く。
 山下君は、確か慶応大学の仏文科の出で、英語よりもフランス語の方が得意だった。何かと言うと英語圏よりもフランスを高く評価するので、フランス嫌いの私と大いにやりあったことを思い出す。それでも私がこれまでに出した本の中で、「世界の宝石博物館」と、翻訳ものでは「著名なダイヤモンドの歴史」それに「ハリーウインストン」の二冊を編集してくれた。共に今でも古書の価格は高いもので、大いに感謝している。
 雑誌キラの面白さというか、ユニークさは、文化としてのジュエリーという視点を編集に大きく取り入れたことにある。外国語に堪能であったことから、海外の作家や作品を大いに紹介し、香港のミッシェル・オンを紹介したら、すぐに香港まで一緒に取材に行ったことを思い出す。もう十数年も前のことで、その頃に彼女のジュエリーを認める能力には驚いた。
 逆に言えば、こうした姿勢が日本の宝石業界では、浮いた存在になったのかもしれない。ジュエリーを金儲けの道具としか考えない業界にとって、文化としてのジュエリーというコンセプトは意味不明だったと思う。これは日経ジュエリーも同じことだが、売れなかったのだ。その頃はバブル期の最中で、宝石業界は3兆円の規模となり、業者の数も万を超えていたのに、共に売れた部数が2,000部もなかった。私は日経とも親しくしていたが、編集長がどうしてこんなに売れないのか、売れた部数の半分以上は、お客様が買っている、業界人は勉強というものをしないのですかと聞かれたことを思い出す。その通り、全く勉強しないのですよ、これは今も全く変わらない。
 私自身も苦い経験がある。ミキモトに在任中、ジュエリー関係の図書を集めてライブラリーを作ったのですが、その中に、17世紀くらいからの貴重なデザイン集が数十冊あったので、それをデザインの勉強のために、復刻すれば役に立つだろうと思い、日本で最大の古書店と話をつけて、綺麗な復刻本を売り出した。週刊誌の二倍の大きさの見事な本が出来上がり、原価1万円で販売したのですよ。千部刷ったのですが、何部売れたと思います??? たった九十冊、それも高いと不満タラタラ、甲府では二冊売れて、買った人がどんどんコピーしてそれを売ったとか、いろんな話が入ってきました。私も嫌になって二冊だけでやめました。あれが続いていたら、素晴らしいアンティークデザインのコレクションができたのに。ベンツに乗ってゴルフに行けば一日で数万円を使うのに、資料一冊に一万円払うのは嫌だと、それが当時の宝石業界でしたし、今でも変わらないと思います。
 まあそんな中で、山下君は色々と努力したのですが、まあ、すべて無駄になりました。最後の頃は、アルビオンアートさんの有川さんのところで、手伝いをしていたと聞きますが、まだ七十歳前半で死去されたのは残念です。心からお悔やみ申し上げます。

2019年8月5日