ジュエリーコーディネーター機関誌への寄稿(4回連続の1)

ジュエリーとはいったい何なのか−1
-女性の時代となった今、その意味を考える。

1.ジュエリーの本質とは美である。

 ジュエリー、宝石、アクセサリー、ビジュウ、装身具、宝飾品、コスチュームジュエリーなどなど、呼び名は色々とありますが、人間が、特に18世紀末頃から女性が中心になりますが、衣服や身体の上につけて飾るもの-ここではジュエリーという言葉を使います-の本質は何かを考えてみます。あまり業界受けのする話題ではないのですが、どうも昨今のジュエリー業界では日本のみならず、世界的に見ても、その本質が忘れられ、単なる金儲けの手段となっているのが気になります。
 そもそもジュエリーあるいは装身具のほとんどは、人類にとって最も古くから存在したものであり、ジュエリーという言葉の感覚よりも、装身具と言うのがふさわしいと思います。古代から、世界中の各地にある遺跡から出てくるものの中で、どんな遺跡でもほとんど必ずと言っていいほどに出るのが、食器、祭器、そして装身具です。古代人が装身に使ったものの多くは、美しいものが条件でした。花、果実、貝殻、石ころなどの自然のままで美しいもので身を飾る、その多くは有機物であったために、今には残りませんが、貝殻や石など今に残る若干の遺物から推定できます。その次に登場したのが金属の加工と無機物である美しい石の組み合わせです。
 こうしたことを古代人がなぜ行ったのかについては諸説あり、はっきりとしません。しかし、世界中の祖先たちが美しいと思ったモノを大事にした、そしてそれを身にまとった、これは否定のしようがない事実です。これが装身具、ジュエリーの起源であったと思います。つまりジュエリーとは、人間にとって美しいと思えるものだったのです。これがジュエリーの本質だと思います。

2.純粋の美から荘厳具への変化。

 人間が貝殻を、石ころを拾って身を飾った時代には、まだ社会的な階層と言うものは存在しませんでした。しかし人間の数が増えてくると、その集まりの中に自然に指導者と言えるような人物が登場してきます。それがやがて王様となり、その周りに貴族ともいうべき人々が登場します。社会の階層化の始まりです。そこで装身具の役割の一回目の変化が生まれます。つまり、そうした指導者たちを飾って彼らを普通の人たちとは違う人物であることを示すという役割です。言い換えれば、荘厳具としてのジュエリーの始まりです。荘厳具の場合、金銭的な価値は大きな問題ではありません。それよりも珍しく、美しいものを所有することで、自らを立派に見せること、これが装身具の役割でした。事実、古代から18世紀後半の産業革命に至る数千年の間、装身具やジュエリーを手にすることのできた人は、三種類だけです。王様あるいは皇帝、その取り巻きの貴族達、そして教会だけです。彼らは珍しい宝石を手に入れ、それに素晴らしい金属加工を加えたもので身を飾り、身辺を飾ることで、普通の人たちとは異なることを表示したのです。教会もーー特にカトリックはそうですがーーこれに参加します。教会そのものを、そして法王から始まる聖職者を飾り立てることで、神のありがたさを感じさせる、それが広い意味での装身具の役割でした。こうしたものを手に入れるためには、莫大な金額が必要であったことは間違いないのですが、それがジュエリーを使うということそのものに影響はしませんでした。私がここで言っているのは、社会的な不公平とか、虚栄とかを問題にしているのではありません。人間は美しいと思うもので身を飾り、身辺を飾ることで特異な地位を表現してきたと言うことです。

3.つまり、美しくないものはジュエリーではない。
 
 煎じ詰めれば、装身具、あるいは狭い意味でのジュエリーとは、人間が美であると思ったもの、美しいと感じたもののことなのです。美しいもので身を飾ることで幸せを感じ、人からも敬愛され、自分も満足する、それがジュエリーの役割でした。美であるものを入手するのに、莫大な金銭が必要であったことは事実でしょう。しかし、富の顕示だけが目的なら、宝石をぶら下げておけば良い訳で、あれほどまでに精緻かつ複雑な細工を施すことこそ、美が大事であり金銭がジュエリーの価値であった訳ではないことを示しています。これを逆に言えば、美でないものはジュエリーではない、とも言えます。では美であるべきジュエリーが、美よりも金銭的な価値を云々するように変化したのは、いつ頃からであり、その原因はなんであったのか、それが今の我々にどれほどの影響を残しているのか、それは次号に書きます。

2020年1月15日