カメオの話

 日本人女性の間で、最も人気のある宝石の一つがカメオである。しかし、その歴史は複雑で、不明なことが多い。ほかの宝石素材の多くは、単に研磨するだけだが、カメオは複雑で絵画的な加工を行って始めてカメオとなる。カメオという言葉自体は、物としての名称でもあるが、絵画的な文様を彫りあげるという技術をも意味する。文様を彫りさげるものもあり、これはインタリオと呼ばれ、歴史的にはこの方がはるかに古い。もともとはメソポタミアのシリンダーシールのように、粘土板の上に転がして、持ち主を確認した実用具であったようだが、次第に装身具にも使われたようだ。しかし、模様が彫り下げてあり、カメオの多くのもののように、色彩の層がないために、模様が分かりにくく、飾り物としては明瞭でない。これは想像の域を出ないのだが、掘りさげるのではなく、模様を彫り上げればもっと鮮明になると考えるのは当然である。そして単に彫りあげるのではなく、天然の石の中で複数の層を持つものを利用すれば、模様がもっとわかりやすくなり、飾り物として効果が高いと考えるのは当然のことだろう。これがカメオが作られた理由ではなかろうか。

 現在の研究では、カメオが、つまりデザイン部分が彫り上がったものが登場するのは、アレキサンダー大王が紀元前330年頃にエジプトに建立したアレキサンドリアの町という。どうもその頃から、複数の色の層を持つ石、つまり縞瑪瑙が使われていたようで、彫られたのは大王自身の肖像画と言われる。後世の王侯貴族が行ったのと同じように、自分の肖像を彫ったカメオを贈り物に使ったと想像される。大王の征服地がエジプトからインドまで広がったことにより、東洋の技術と宝石となる素材が多くギリシャにもたらされた。このヘレニズム時代のギリシャで、カメオの主題となったのは、皇帝や王様の肖像も多いが、ギリシャ神話の神々の像などで、代表作とされる、ナポリの考古学博物館にあるタッサファルネーゼと呼ばれるカメオは、エジプトの神々を彫ったものだ。続くローマという国は、文化面ではギリシャを模倣した国であった。そこで作られたカメオの多くは、ギリシャのものを模倣するものの他に、貴族、将軍、英雄などの肖像を彫ったものが追加されている。

 これからも分かる通り、カメオとして彫るテーマというのは、神々の像、神話の場面、そして王侯貴族たちの肖像がほとんどである。その後、キリスト教が蔓延った中世には、教条のモットーが文字として彫られたものなどが登場するが、見るべきものは少なく、ルネッサンス期になると、ギリシャローマの古代への復活の一環として、古代の遺品を模倣した作品が多く作られている。続く、17、18世紀には、カメオを新しく作ることも続いたが、むしろ古代の遺品を蒐集することが王侯貴族のファッションとなった趣があり、今日に残る多くの大コレクションは、この時期に集められたものだ。

 今日まで続く装身具としてのカメオは、ナポレオン一世の1804年の戴冠式に始まる。ナポレオンは王冠の飾りに古いカメオを使い、その妃ジョセフィーヌやナポレオン一族の女性たちも、カメオをジュエリーとして用いた。ナポレオンは、カメオの工房をパリに設立するほどであった。これと並行してカメオを流行らせたのは、いわゆるグランドツアーと呼ばれる、英国の貴族の子弟が、学業の終わりを飾るものとして、欧州大陸に旅行することであった。彼らの多くは、イタリアへ、それもイタリア南部の遺跡が発掘されている地域、つまりナポリ界隈であったので、そこからお土産として、多くのカメオが英国に招来された。ちなみに、英語でカメオがCAMEOというスペルで登場するのは、NEDによれば1670年が初出である。

 19世紀初頭のジョージアン、それに続くヴィクトリアンと呼ばれる時代は、商品としてのカメオの全盛期である。産業革命から生まれた多くの新しい富裕層は、ジュエリーの新しい顧客となった。彼らが好んだジュエリーの一つがカメオである。しかし、古代からのカメオは手に入らない以上、新しいカメオの作成が必要となり、多くの名手がイタリアやドイツに登場する。さらに古代からのモチーフに加わるのが、ヴィクトリア時代の特徴でもある、センチメンタルなデザインモチーフである。ギリシャローマの神々や神話のデザインのものも多く作られたが、かなりデフォルメされており、正確なコピーではない。正確であるよりも、時代に合ったものが好まれた。この時代、愛や恋を語る天使やらキューピッドなどが加わる。

 素材の面でも、これまでの縞瑪瑙中心ではなく、17世紀頃からはシェルカメオも加わり、さらにはナポリ近郊のベスビオス火山から出るラーヴァと呼ばれる溶岩を使ったものも登場する。さらには色の異なる層を持たない宝石、マラカイト、トルコ石、鼈甲、象牙などのカメオも大量に通られた。デザインも素材も、それまでにない広がりを見せ、質を問わなければ、膨大な数の作品が今日まで残っている。

 現代でも、カメオは最も判りやすいジュエリーの素材として、イタリア、ドイツなどで数多く作られており、その多様さは過去の遺品をしのぐ。中でも日本は、カメオの消費地としては、抜きん出た大きさを持っており、今後も優れたものが作られることを期待したい。

2019年3月6日