再び注目される「ブローチ」というジュエリー

 歴史は繰り返すと言うが、今まさにプローチが一戻つて来ている。これまで30年ほど、女性の服装はカジュアルという名前のもとに、何でもありに近い自由な服装が中心で、いわゆる女性のスーツ姿など、街で見かけることはほとんど無かった。それがこのところ、じわりとではあるが、

しかるべき地位の女性、男性に伍して仕事をする女性を中心として、スーツ姿が見られる。スーツを着るとなれば、もっとも必要なジュエリーはプローチ、女性誌やテレビなどでも、プローチの特集が増えている。アンティーク・ジュエリーを扱っていて、今と違うなと感じることの一つが、商品のなかでプローチの比率が非常に高いことだ。おそらく数だけで言えば、一番多いのではなかろうか。理由は簡単、皆のしかるべき女性は、すべて広い意味でのスーツを着てプローチを使っていたからだ。

 このプローチ、ジュエリーのなかでは変わり者である。プローチだけが、実用品から生まれたジュエリーなのだ^〉古くはフィビュラと呼ばれ、今の安全ピンのような形状をしており、衣服などの合わせ日をとめるのに使われた。ボタンというのは、ずっと新しく9~10世紀のものである、このピンの表に出る部分に飾りをつけたのが、プローチの起源なのだ。またプローチだけが、女性の肌に直接触れることの無いジュエリーである。

 こうして生まれたプローチは、その後の歴史の中で、いろいろな形で登場する。最初に目を引くのは、ジュエリーがまだ王候貴族だけのものであった時代に現れたコサージュ・プローチあるいはストマッカーと呼ばれる大きなプローチだ。当時の王候貴族の女性たちは、実に多くのジュエリーを身につけたが、それは装飾の意味もさることながら、いかに自分たちが働かなくていいか、つまり、動かなくてもいいかを示す道具であった。だから、ほとんどのジュエリーは巨大で、特にこのコサージュ・プローチは大きい。これがなぜ生まれたのかを知るには、当時の女性の服装から知らねばならない。

 当時の貴族階級の女性は、デコルテと呼ばれる胸を大きく開けた衣服で、胴の部分を極端に締め上げた――ウエストが細いこと、それが美人の条件であった――ものを着ていた。この結果として、身体の前面に大きな倒立三角形の空間が生まれる。空間恐怖症である西洋人にとって、この空間は耐えられない。そこを埋めるために作られたのがコサージュ・プローチで、大きなものは幅15センチ、長さ30センチに近い。長さ30センチというのは、あまりにも不便なので、普通は縦に2カ所ほど蝶番がついていて動く。プローチと簡単に言うけれど、こんなものが身体の前面についている女性に同情したくなる。

 ず―っと時代は下がって19世紀、これと正反対の小さなプローチが登場する。ビンプローチと呼ばれるもので、普通は長い針の先に1センチ角ほどのさまざまなデザインがついている。ワンポイントピンとも呼ばれ、スーツの襟などにちょっとつけるもので、最近では男性が社章の替わりなどに使う例も多い。このビンプローチの歴史はちょっと変わっている。

 19世紀後半、男性のネクタイはストック、クラヴァットなどと呼ばれて、今日のような紐状のものを縛るのではなく、スカーフのような平面の布を首の周りに巻き付けるものであった。女性ならすぐにお分かりになると思うが、このスカーフ状のネクタイ、30分かけて首に巻いても、動くとすぐにぐちゃぐちゃになる。これを防止するために、巻いたネクタイの真ん中に、長い針をもったピンをぶすりと刺したのだ。だから古いピンは、針に螺旋状の筋が入っている。これがピンプローチの始まりだ。その後、ネクタイが今のような棒状のものを縛るようになると、このビンは不要になる。男性一人が何本も持っていたピンに眼を付けたのが女性たち、さっそく取り上げるとワンポイントのプローチにしたという訳だ。

 まあプローチにもいろいろあるし、これからまたプローチが一戻って来ることは間違いない。最後になるが、老婆心ながら、一言、女性たちにアドバイスをしておきたい。一つはプローチは、洋服を着る前に服につけて、それから洋服を着ること、着てから下目使いでつけると、ちゃんと留まらないで、落とすもとになる。服を着てからつけると、どうしてもプローチの位置が低くなりすぎる、これが第二の欠点だ。スーツで言えば、襟の縫い目の上あたりが、正しい位置だ。服を着て下目で見下ろしてプローチが見えるようなら、それは低すぎる。低すぎる位置につけたプローチなら、つけない方がましである。男性に伍してばりばりと働く女性は美しくあってもらいたい。プローチを折角つけて、かえってしまらない服装になっているのを見るのは悲しいことだ。

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2018年12月6日