格言に見る業界ばなし その5 世の中に安くて・・・ (2014年 時計美術宝飾新聞)

 今回は箴言というよりも、近年の尊敬すべき人物の言です。全文は、「世の中に安くておいしいものがある、という人もいるが、僕はそうは思わない」です。優れた料理人であり、料理を文化にまで高めた人、優れた教育者でもある辻静雄の言葉です。世界的にも優れた料理学校を作り、世界の高名なレストランのシェフと対等な会話ができ、彼らに尊敬され、膨大な料理の本を世界中から集めて自由に使わせ、大教養人であると、まあ最近の日本人のなかでは抜群の人ですね、この人は。彼によって料理は文化になり得たと思います。最近、テレビなどでグルメ評論家などというちょび髭の馬鹿がいますが、人間のレベルが違う。翻って、宝石業界を見ますとね、同じように外国人との付き合いはある業種ですが、同様な人は全くいない,情けないの一語につきます。前置きが長くなりましたが、この言は正しい。私は、高いから良いとは限らない、しかし良い物は高い、と思っています。いま、高くて良くないものは海外ブランドのものでしょうね、日本人を舐めきっています。逆に良い物は高いということが分からないのが日本の宝石業界でしょうね。
 ここ十数年、業界がやってきたことは高い物が売れない、だから安いものを売ろうということが中心でした。これは正確ではない、高い物が売れないのではなく、高くて良くない物は売れないのですよ。それをもっと安くしても、より悪くしなければ安くはならないのですから、良いはずがない、だからまた売れないのです。この悪循環、ややこしい言い方ですが、お分かりいただけますか。日本でも,宝石業界のちゃんとした客はもう三代目、レベルも上がっています。アホな商品を売る側がいくら薦めても買ってはくれませんよ。逆に、良い商品ならちゃんと売れています。売れないと騒ぐのは、売れない商品を作っている業者だけ、こういうのに限って、良くしようとすると高い高いと騒ぎます。これを繰り返して、どんどん安物ばかりの市場になってきたのが,今のジュエリー業界ではないですか。
 料理でもそうでしょうが、いまや良いものを作るには、その背景となる文化が必要な時代になってきました。辻さんが素晴らしいのは、その文化というものが分かる人だったことです。そのような人物がいなければ、安かろう悪かろうの物しか作れない、それがいまの宝石業界でしょう。くどいようですが、高いから売れないのではなく、高くて良くないから売れないのですよ。そこを反省しなくては、業界の改善は出来ない。そのためには、良いものとは何かを理解できなければ、どうしようもない訳です。自分では素晴らしいと思っても,客観的に見ればどうということはない、それでは売れない時代になったのですよ。振り返ってみれば、1991年頃までのバブル期には、売り手も買い手も何も分からないから、何でも売れたのです。バブルが終ってからの二十数年間は,高いから売れないと信じ込んで、安く安くを合い言葉に、安物作りに専心してきた、その結果、美味しい高額品の多くは碌でもない外資にしてやられ、街には五千円のピアスがジュエリーだと思い込んだお店と客とが溢れることになったのです。そろそろ高くて良いものを目指す宝石店が出て来ても良い頃だと思いますが、無理でしょうねえ。

2019年4月11日