格言に見る業界ばなし その4 後生、・・・ (2014年 時計美術宝飾新聞)

 これは格言を知っている人なら、すぐに分かるもの、後生、畏るべし、論語からのものです。後生とは後に生まれたもの、つまり後輩のこと。後輩の中には、自分をしのぐおそるべき奴がいる、若者だからと言ってバカにしてはいけない、という意味でしょうね。ここまでは知っている人も多いでしょう。だが、この後を読んだことのある人は少ない、今回はその後の話です。
 この文章の後は、すこし中略があって、こう続きます。
四十五十にして聞こゆるなきは、これまた畏るに足らざるのみ、つまりですね、後輩にはおそるべき奴がいる、だけど四十五十にもなって、世に知られないような奴はおそれる必要は無い、ということ、孔子先生、なかなかにシビアですよ。さてさて、今回のテーマは宝石業界における後生の皆さんの話です。この連載の二回目では、老人の害をかきましたが、その老人たちから仕事を引き継いだ後生たちには、問題はないのでしょうか。いやいや、問題だらけ、私は現在の宝石業界の停頓の最大の理由は、この後生世代の無為無策にあると思っています。
 卸業界であれ小売業界であれ、今の後生たち、つまり40から50歳くらいまでの世代の人々は、毎日何をやっているのでしょうか。一番熱心なのは、スマホでしょうね。つまり、ネット、プログ、ツイッター、ラインとか、名前は何でも、スマホの上でごちゃごちゃと朝から連絡しあう。内容は何かと思えば、昨日食べたラーメンとか、どっかに行ったとか、イイネ、イイネと言い合う、「スマホはアホのヒマつぶし」とは良く言ったものです。仕事の話や宝石の新しい情報など、薬にしたくとも皆無、これでほぼ午前中は終わり。
 次に多いのが、外出でしょうね。そこらにウロウロするのも外出でしょうが、多いのは東京へ行くか、海外へのお出かけ、業界の集まりへの出席、などでしょうか。この業界の集まりと言うのがくせ者、一見りっぱな勉強会に見えますが、正直言ってただ集まっているだけ、商品の企画とか販売方法の検討とか、少しはあるでしょうが、ほとんどは集まって酒を飲み、売れない売れないと慰めあうだけ、少なくとも掛けた時間と費用から見れば無意味なもんです。それでも何となく仕事をしたような気になる、そこが問題でしょうね。
 私がね、彼らについて一番不思議に思うのは、彼らが何か新しいことをやろうと思った時、それを妨げるものは何も無い、にもかかわらず、何もしないことです。家業ですから、社員が意見を言うにしても限度がある、オヤジも口を出すかもしれないが無視すればいいので、後生の皆さんを妨げるものは何もないのですよ。にもかかわらず、何もしないと言うことは、何をしたら良いのか分からないのか、まったく新しいことにチャレンジする気力が無いのか、どちらかしかない。会社なり店の現状、あるいは近未来については漠然とした不安はある。それを乗り越えて、オヤジの時代とは違うことをやるだけの気持ちがないとしか思えない。つまりですね、四十五十にして、聞こえることなき人物になっているということですよ。これは悲しいことです。人生は一回だけですよ、どうか四十五十になったら、おおあの町にはあいつがいるよと言われる宝石商になって、聞こえて下さいよ。お願いします。

2019年4月11日