ジュエリーコーディネーター誌90号掲載

女性の出番では?ーーコロナ後の宝石市場について考える

1.コロナ後はそんなに変わるのか!?

 最近、よく聞かれるのは、コロナ後の宝石業界は、元に戻るのかという問題です。この春以来のコロナ騒ぎで、家にいることが増え、テレビを見る機会もどっと増えたのですが、何よりもあきれ返るのは、テレビ、特に民放のテレビに登場する識者さんとか専門家さんとかの、いい加減さですね。我々に関係の多い、コロナ後の生活環境についてのご意見には、いくら騒ぐことがテレビの特徴とは言え、目にあまるものがあると思います。曰く、会社という場所に集まらなくとも仕事ができる、事務所はいらなくなる、自宅から妻子との触れ合いをしながら仕事、買い物のほとんどはネットでできる、会社によっては東京から小豆島に引っ越すとか、まあいつもながらの大騒ぎです。識者さんのご意見を聞いていると、もう見込みはないのではと思いたくなるのも、無理はありません。そうした騒ぎは置くとして、我らが宝石業界はどう変化するのかを考えてみました。
 最初に言えるのは、女性はジュエリーを見向きもしなくなるかということは、まず絶対にないでしょう。これは基本的には現代の日本人の、特に女性の民度の問題だと思います。つまり今の女性たちにとって、食べて、衣服を着て、靴やバッグのアクセサリーを持って、働くなり生活するだけでは満足できない、さらに美術や芸術に触れたり、知らないことの勉強をしたり、空腹を満たすだけではない食事をしたり、国内海外を問わず旅行をしたりすることは、生きていることの証明なのです。しかるべき服装にはしかるべきジュエリーが必要というのは、もう一種の常識となっています。そうした女性たちにとって、ジュエリーはほぼ必需品といえる時代なのです。気弱になることはありません。

2.はっきりと二分化する市場

 ではコロナ後も、何も変わらないのでしょうか。それもまたありえません。一番大きな変化は、ジュエリーというものが、はっきりと二分化することです。ジュエリーそのものも、その売り方、売る人物、買うお客すべてが、はっきりと二つに分かれると思います。これから、おそらく数量的には主流となるのは、言うまでもなく、基本的にコンピュータを使ったAI販売、通信販売、まあ名前はなんでもいいのですが、キャドでデザインし、キャドで鋳造し、作品を何も理解しないままの人物によって展示されたジュエリーを、見もせず説明も受けず、もちろん触りもせずにチョンとキイを叩いて買うという顧客のためのジュエリーです。こうしたジュエリーの顧客満足度がどの程度のものか、どうにもデータも少なく確たることは言えないのですが、市場の動向を見る限り、決して低くはない。おそらくこれからも、毎日数時間もテレビとスマホを見ている人々を顧客の中心として、数量的には市場の8割以上のジュエリーは、この種のものとなると思います。
 もう一つのジュエリー、これは良くて市場の2割程度かそれ以下かなと思いますが、まあ言ってみれば旧来のジュエリー、つまりデザインがあって、しっかりとしたクラフトマンの手で作られ、ジュエリーを愛する人たちによって、スマホでチョンで買えるジュエリーには見向きもしない人々に売られるジュエリーです。全国的なブランド店、百貨店の外商や催事販売、十数軒は残っている地方の有力小売店などが、この種のジュエリーを扱うと思います。最近では、こう言いますと、山口さん、そんなジュエリーはもう古いよ、これからはB2Bだよとか、B2Cだよとか、よくわからんことを言われるのですが、そうした人たちは、ここで言うような作品を作ったことも扱ったこともなく、そうした作品を買う人に会ったこともない人ではないかと思います。私が言っているのは、この二つのどちらが良いとか悪いとかではなく、完全に二つに分かれた流れ、つまり作るところから誰かが買うまでの流れが、完全に二分化する、それは相交わることはほとんどない、そういう時代になるということです。

3.こうした流れは歴史の必然でもあります

 古代から近世に至るまで、ジュエリーの市場は、王侯貴族や教会だけのものでした。産業革命が起きて、普通の人々が富裕になるにつれて、いわゆる富豪市場が登場しますが、21世紀の今、世界を見渡してみますと、王侯貴族は消滅し、富豪と言われる人々も他人の目もあって、昔のような購買力はありません。昔は1000万円の品をポンと買ってくれる人がいた、そうした人が消えても100万円の品を買える人が10人はいた、しかしそうした人々さえも消えていくとなると、20万円のものを買える人を50人探す、最後には10万円のものを買える人100人がいなくては、かっての市場は維持できない。大衆化と言えば聞こえはいいのですが、質よりも量の時代にならざるをえない、これが世界中のジュエリー市場で起きていることなのです。
 我々はあまり気づいていないのですが、こうした意味でのジュエリーの大衆化が最も進んでいるのが日本です。我々業界人にとって普通のこと、つまり、ジュエリーの催事販売、外商、ユーザー展、さらにはローン販売などが行われている国は、まず日本以外には存在しないのです。日本の悪口ばかり言って、なんでも日本の真似をしている韓国や中国でも、こうしたジュエリーの販売は存在しない、まったく理解されません。そもそも、ローンでジュエリーを買うということ自体が、日本とアメリカの一部を除けば、存在しないのではないでしょうか。これを逆に言えば、日本ではそこまでジュエリーの大衆化が進んだと言える、そこへ持ってきてコロナ騒ぎとなれば、あまり難しいことを考えずに、近場にあるもので満足するというのは、当然の動きになります。これは私が、ジュエリーの大衆化がさらに進むと考える理由の一つです。となれば、売る側も当然のこととして、より安易でより安いジュエリー作りに精を出すのは当然でしょう。

4.ジュエリーはコモディティなのか!?

 英語にコモディティという単語があります。普通は商品とか日用品などと訳されますが、まあ需要があればいくらでも追加されるモノというニュアンスが強い。ここで私が言う最初のカテゴリーのジcュエリーは、このコモディティと言えるでしょう。売れるならいくらでも作りますよ、ありますよ、それがウリの商品です。
 時々、私の考えはもう古いのかなとも思うのですが、ジュエリーというものは、本質的に、歴史的に、このコモディティの一つなのでしょうかという疑問を私はずーっと持ち続けてきました。第一次、第二次世界大戦が終わり、金を持っているのはアメリカ人だけという時代を経ている間に、ジュエリーの内容と質とは低下の一途をたどり、今日の大衆市場にたどり着いた、しかし、本来のジュエリーを求め、使おうという人はまだいるはずです。実際にジュエリーを買い、使う女性の皆さんは、どう思っているのかと思います。

5.これからこそ、女性の出番では

 こうした中で、最近、私は一つのことに気づきました。このジュエリーというものを、工業製品のように、どんどん作ってどんどん売るという発想は、男性の発想ではないかということです。もちろん、商売ですから売れるに越したことはない。だがその一方で、ジュエリーが本来持っているはずの美への執念とか、思い込みというものが全くない、売れればいいのよというのは、男の発想だと思います。女性が持っている、美しくなりたい、美しいものが欲しい、人とは違いたい、他人と同じものは嫌という、情念というか激しい好き嫌いというものが全くないもの、それをただ売るだけというのは、男の発想だと思います。
 どうでしょうか、そうしたカテゴリーのジュエリーは男どもにでも任せて、わずかに残った二割以下と思われる本来のジュエリーに、女性の目を向けては。必ずや、それを理解してくれる女性客はいますよ。日本の女性の商品に対する理解度は非常に高い、その分だけ五月蝿い、それは事実です。よく外国人の業者ーー宝石関係だけではなくファッション全般に言えることですがーーがいうのですが、日本で売れれば世界で売れる、それほどに日本人女性の目はシビアなのです。ですから、いま工業製品のようなジュエリーを買っている女性でも、それにうんざりして本来のジュエリーを求める人は出てきます。そこに業界の中で、女性の出番があると思うのですが。デザインや作る側でもいい、最終的にジュエリーを売る場面でもいい、とにかく男の論理ではない、美しいと思えるもので、自分が使いたいと思える、本来のジュエリーを取り戻せるのは男ではない、女性だと思うのですが、どうでしょうか。
 最後に、くどくどと言いますが、これからのジュエリーははっきりと分かれます。女性がジュエリーを見捨てることは絶対にありません。どちらが良いとか悪いとかを言っているのではありません。ジュエリーそのものも、それを扱う業者も、買う顧客も、はっきりと二分化します。もちろん、一つの店舗の中で、この部分は第一の、ここから先は第二の、というような区分はあるでしょう。あなたが一人の宝石商として、どちらに属したいのか、二つがあい交わることはありません。女性の皆さん、期待していますよ。

2020年11月4日